【安倍疑獄】保守が保守を批判できるかどうかが森友問題を解決する鍵【カルトからの脱出】

森友問題が紛糾しています。

主流メディアの論調は安倍政権寄りで、ことここに至ってなお、籠池氏の発言は信用ならないという声に引きずられる人も多いかと思います。

しかし実際には証人喚問は証人の供述そのものが「証拠」ということで、これをひっくり返したければ、疑惑の中心人物が同じく証人喚問で真実を述べる必要があります。

この当たり前のことにさえ突っ込めずに、ただ盲目的に安倍政権を擁護しながら、黒いものを白だと叫ぶような人が、保守にカルトを呼び寄せているのですが、ほかならぬ保守がその点に気づいていないようです。


チャンネル桜が語る保守とカルトの関係

http://ponkiti2015.blog.fc2.com/blog-entry-8.html


森友事件を「保守の膿を出す機会」だと思っていない保守の声が大きいのは致命的だと思いますが、それは結局、今なおノイジーマイノリティが跋扈している現状、そして保守利権のお世話になりたい「他人の飯をアテにする」連中の多さをうかがわせる現状をあらわしていると思います。

ところで、保守の側からこういった、自浄能力のない保守ムラの問題を「やんわり」指摘する記事がありました。

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メディア記事

情で繋がり、情でつまずく保守の世界~森友学園以外にも繰り返されてきた保守の寄付手法~

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/03/post-7237_1.php

一連の森友疑惑で慙愧に耐えないのは、「保守」或いは「愛国」を真面目に求道する者たちが、籠池氏のせいであらぬイメージ低下の誹りを受けた事である。国や府を欺罔せんとし、府から刑事告訴を検討され、また香川県在住の私人からすでに刑事告発までなされた籠池氏は、口では「愛国心」「教育勅語による高い道徳の涵養」などと謳うが、その実、あらゆる意味で不誠実極まりないと批判されるのは、読者諸賢の知るところであろう。

このままでは「愛国者」「保守」と名乗れば、すわ籠池氏の姿とシンクロして、おかしな目で見られかねないではないか。「愛国」を汚した罪深さとはこのことである。

当初、森友学園疑惑が勃発した当初、ネットの保守世論は籠池氏に同情的だったが、くだんの「安倍総理から100万円(現在のところ真偽不明)」発言が籠池氏等から飛び出すと、安倍総理と籠池氏を天秤にかけると安倍総理の方が明らかに「重い」ので、ネット世論もたちまち籠池批判へと態度を硬化させる傾向が顕著だ。いわく「森友学園(籠池)は保守の恥」という。普段、ネット保守の論調に辛辣な筆者も、流石にこの感情には満腔の思いで同意する。

まず記事では、森友問題によって保守のイメージが損なわれたと怒りの声をあげています。

そして、森友問題で、なぜ保守の人脈がここまで籠池氏とつながっていたのかということに関して、保守の「情」でつながるムラ社会について指摘。

保守界隈という、狭く閉鎖的な世界の中で、「情」が支配する粘着的で複雑な人間関係が構造的に横たわっている

と述べています。

そして、記事では”「事故る」と冷たい保守の「情」”という小見出しで、事件後に森友学園に手のひらを返した保守ムラの人たちの言葉を紹介したうえで、こういったことになった原因を、

愛国を掲げてさえいれば、その内容の良し悪しはともかく「同志」として連帯し、有形無形に協力するというよく言えば「義理人情」、悪く言えば「なれ合い」のムラ的世界観の中にいる結果なのである。

と指摘。

「せっかく愛国者が頑張っているんだから、批判しちゃかわいそうじゃないか、応援してやろうじゃないか、保守同士仲良くやろうじゃないか」というムラ的な「情」こそ、保守界=保守ムラに横たわる構造的欠陥である。

と、保守の構造の問題を批判しています。

しかし残念ながら、記事ではここから問題を人間倫理に置き換えます。

真に国を思うのなら、客観的にみて明らかに怪しい人物が主導して、「愛国」を傘に計画する事業展開に疑念を感じたのなら、毅然としてNOというべきだ。それが真の愛国者の姿だと思うが、どうだろうか。何か事故が起こってから、「無断で使用された」「知りませんでした」「いい迷惑だ」では些か虫が良すぎはしまいか。

個人的に、最後のこの引用部分に関しては非常に残念です。

もちろん愛国者の理想の姿を求める論理はけっこうなんですが、保守の構造そのものに問題があるとまで指摘しておきながら、最終的に構造には切り込まず、個人の倫理の問題としてなあなあにすませるあたり、切り込み方が中途半端だと言わざるをえません

さらに記事では最後にこうまとめています。

保守ムラの「情」によって形成されるなれ合いによる大きな弊害は、もしかすると保守ムラだけの事ではない、狭い社会や閉鎖的な組織に特有の、普遍的な魔物なのかもしれない。

結局、保守ムラのせいだけにしないでくれ、ということでしょうか?


森友問題は、「右翼対左翼の戦い」という構図で考えるべきではないと思っています。

問題を解決するには、ほかならぬ保守ムラの人間が、保守のあり方(構造)を変えようと働きかけられるかどうかにかかっている、とわたしは思います。

それがいつまで経ってもできない場合、状況を左翼(市民運動)に巻き込んでいく力が徐々に台頭していき、保守と対立するようになり、国内が混迷を極めることになるでしょう。

わたしは森友問題が長期化することは歓迎していませんし、問題が単なる「政権打倒」を目的にするものとなることには危機感を覚えています。

かといって、今の保守のあり方がまったく変わることなく、森友問題が片付くのも歓迎していない次第です。

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