トランプ氏が世界に引き連れて来た新しい秩序とは何なのか?

フィリピンのドゥテルテ大統領による粛清、イギリスのEU独立、移民の受け入れ拒否、シリア代理戦争に勝利したロシアの台頭、アメリカのトランプ大統領誕生。

ポリティカルコレクトネスが崩壊した向こう側にある、ポスト真実。

2017年、世界レベルのパラダイムシフトが起こっています。

パラダイムシフト(英: paradigm shift)とは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをいう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%95%E3%83%88

では、なぜパラダイムシフトが起こったのか、これから私見を述べます。

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トランプ氏が不寛容を運んできたのか?

トランプ政権になって、世界は不寛容になると叫ばれていますが、こういった不寛容の精神はどこからやってきたのでしょうか。

トランプ氏に対する不寛容の例としては、人種差別や、マイノリティに対する差別、保護主義、移民の受け入れ拒否といったことが挙げられます。

しかし、こういった不寛容はトランプ氏が台頭する以前にはなかったのでしょうか。

わたしたちは西側諸国が、これまでロシアに対してきわめて不寛容であったことを知っています。

核施設がないにも関わらずイラクに侵攻したアメリカは、寛容だったといえるでしょうか。

西側諸国は戦争に直接介入しないでシリアの反体制派に武器を供与し、体制派をつぶしてグローバリズムを推進しようとしました。

実はこれまでの世界も、見方を変えればじゅうぶん不寛容だったのですが、それらはグローバリズムの名のもとに、タブーとして扱われました。

つまり、わたしたちがタブーとして口をつぐんでいた「その場所」には、まるでゴキブリがマンホールの下に巣食うように、不寛容が押し込まれていたのです。

わたしたちは、心の中では平然と差別をしている

障害者やお年寄りなど、社会的弱者に対するノーマライゼーション(標準化)の理念は、大事なものです。

たとえば足のない人に対して、ふつうの人と変わらぬ生活ができるよう社会が取り組むことはノーマライゼーションであり、否定のしようがありませんが、それに乗じて今度は、足のない人を「足のある人」のように扱えといわれたら、どうでしょう。

足のない人に、足のない人と言ったら傷つくから、そういう言葉は用いるな、おくびにも出すな、と言われても、わたしたちは困惑します。彼らは現実に「足のある人」ではないからです。

表現を選ぶことはできますが、人によっては「足がない」と言われるだけでうちひしがれる人もいれば、ずっときつい表現で揶揄されてもこたえない人もいます。

こういった表現の問題に対して、いまだにわたしたちは腫れ物にさわるような状況からなかなか脱することができずにいます。

わたしたちがいくら表現規制の押し付けに困惑しようと、社会が足のない人を「足のない人」(あるいはもっと直接的な表現)と呼ぶことをタブー視し、仮にそんなことを言う人がいたら「不寛容な精神を持つ人間だ!」と社会全体で叩くような時代になれば、そういった言葉はおいそれと使えなくなります。

実際に社会は言葉狩りをしましたし、1993年に起こった筒井康隆氏の断筆宣言は、果たして社会が表現を規制することで差別をなくすことになるのか、という議論を巻き起こしました。

あれから差別表現はいったん、社会の表面からは姿を消したようにみえましたが、実際には不寛容な精神そのものはわたしたちの心の中にずっと潜んでいました。

もう一度言いますが、まるでゴキブリがマンホールの下に巣食うように、不寛容が押し込まれていたのです。

そして差別はなくなるどころか、2016年に相模原障害者施設殺傷事件が起こりました。

捜査関係者によると、Aは「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」と供述。こうした考えに至った背景について、中学時代の同級生や園で働いた経験などを挙げ、「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため。同じように考える人もいるはずだが、自分のようには実行できない」とした上で「殺害した自分は救世主だ」「(犯行は)日本のため」などと供述している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%A8%A1%E5%8E%9F%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%96%BD%E8%A8%AD%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現を規制したことによって生まれたスティグマと、アングラ化

差別表現を悪だとして規制することによって、差別の心を持つわたしたちの中に、スティグマ(負の烙印)が生じました。

差別感情や不寛容の心は確かにある。あるのに、それを表に出すことは許されない。

このときスティグマはアンダーグラウンドへと向かう傾向があります。

障害者への差別表現に限らず、グローバリズムは様々なタブー(スティグマ)を生みました。

グローバリズム思想の生み出した様々な規制は、「ポリティカルコレクトネス」と呼ばれています。

ポリティカルコレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9

それでは、ポリティカル・コレクトネスによって生じた人々のスティグマは、アンダーグラウンドの場として、具体的にどこへ向かったのでしょうか。

スティグマは、インターネットにあふれた

今ではあまり言われませんが、昔は2chといえば、「便所の落書き」にさえたとえられていました。

人が表立って言うべきではないとされている表現を、匿名でいくらでも書き込めたからで、さらにそれはネットを利用する者なら誰でも閲覧できたからです。

こういった明け透けで直情的な言葉や、タブーのない発言は、これまで「社会が決めた正しい表現を使うべきだ」と教わってきた層にとっては衝撃的であり、かつ不快極まりないことだったのです。

「表立って言うべきではないとされている表現」とは、つまりポリティカル・コレクトネスによってタブー視されている表現であり、現実世界ではスティグマとして認められています。

スティグマはインターネットで噴出したのでした。

エロ・グロ・差別・社会で表現できない本当の情報……社会がフタをしていたあらゆるものが、インターネットにあふれました。

そして20年ほど経った今、わたしたちは当時便所の落書きと揶揄し、忌み嫌っていた2chの書き込みを一種の世論として扱っています。

ネット上で障害を揶揄されても、それを逆手にとる乙武洋匡氏のような人もいます。

ネットをわざと炎上させて巧妙にお金に換えてしまう人もいます。

わたしたちはポリティカル・コレクトネスが押さえつけていたスティグマを、いつの間にか半ば逆輸入のようにして、今度はネット世界から現実世界に持ち込んできたのでした。

そして現実世界が一生懸命守ってきた建前と、あふれるネットの本音の境界線が崩れつつある今、トランプ氏が台頭してきたのです。

ネット世界がマスメディアを駆逐する

トランプ氏は、一見するとグローバリストの対義語として使われる、単なるナショナリストのようにもみえるかもしれません。

しかしトランプ氏の言動が、右翼や左翼、グローバリズムやナショナリズムといった、これまでの政治的な綱引きから逸脱した、まるでインターネットから飛び出してきた新しい秩序そのもののように思えるのはわたしだけでしょうか。

口汚く、明け透けで、これまでの秩序が作り上げたタブーに平然と切り込む姿は、まるでインターネット上にあふれる世論がそのまま現実世界に進出してきたようです。

さらに、トランプ氏が自身の考えを発信するときにマスメディアを利用せず、Twitterを用いるのも象徴的です。

トランプ氏はマスメディアの発信に対して「嘘つきニュース」と平然と罵ります。

それはわたしたちが常日頃、「マスメディアは本当のことを言わない」とネットでささやくのと同じことを、アメリカの大統領が言っただけのことです。

しかし社会はこれに激しく反発。

政治家やマスメディアの猛烈な反発によって、わたしは逆に、インターネットであれだけ半ば公然と扱われていることが、現実ではパラダイムシフトを生むほどの大きなタブーとして扱われていることに、改めて驚きました。

つまり、これまでの秩序を脅かしている新しい秩序とは、インターネットによるオルタナティブメディアなのです。

今は既存のメディアに対する「オルタナティブ(代替)メディア」と呼ばれていますが、これはいずれ名を変えて、強大な新しいメディアとして、既存のマスメディアを覆いつくすでしょう。

だから今、既存のマスメディアは危機感を抱いて、こぞってトランプたたきに一生懸命なのです。

本音と建前の落としどころを探る時代

わたしはこれからの世界は、これまでの世界が作り上げてきた理念や理想と、本音のあり方のバランスについて再度考え、落としどころを作る時代にきたと思っています。

それが世界的にみたとき、今後ナショナリズムの暴走を招くのか、戦争を生むのかどうかは、わたしにはわかりません。

ただ、日本が明治維新から富国強兵を目指し、ポツダム宣言受諾によるパラダイムシフトに至るまで80年、さらにそこから戦後70年以上経って現代のパラダイムシフトが起こったことを考えると、今すぐに終末的な何かが起こるわけではないと思います。

トランプ氏の動きに対して、グローバリストが新しい一手を打てるのか、国境の壁を作られる南米は今後どう出るのか、領土拡大を進めたい中国の動き、シリア戦を制したロシア、混迷を極めるイスラム諸国、さらにネットメディアのさらなる台頭など、今後も世界の動きに注目しています。

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