ポスト真実について述べた虚構新聞に感じた、メディアと個人のあり方の変化について

BuzzFeedで、虚構新聞にインタビューした記事が掲載されていました。

虚構新聞「ネットの良識を信頼する」 真実が大切にされない時代にジョークは成り立つか?

https://www.buzzfeed.com/takumiharimaya/kyoko-np?utm_term=.csLPPLQ1p#.kdeXX6znM

この記事の中で個人的に気になったのは、読者の側と作り手の側に対するそれぞれの指摘です。

「一昔前なら“釣られた”自分の未熟さは恥ずべきことだったと思うのですが…。この開き直りが『自分に都合がよければ嘘でも本当でも気にしない』というポスト真実なのかもしれません。そのせいもあって、最近は本紙(虚構新聞)でも政治をテーマにした記事が書きにくくなりました」

「二つ目はニュースを作る側についてです。以前から本紙を見ながら『個人でここまでそれっぽいサイトが作れるんだから、どこかの会社や技術者が本気になってデマをばら撒くだけのサイトを作ったら大変なことになるかも』という危機感に近いものは感じていました」

スポンサーリンク

1.「ポスト真実」の真っただ中で

引用したうち前者は、現代になって読み手のリテラシー(読解力)が変化してきたというものです。

嘘のニュースを拡散した側が、嘘にだまされたと気づいたあとも悪びれることなく、”『自分に都合がよければ嘘でも本当でも気にしない』”という態度をとるようになってきたと指摘しています。

そしてそれが、ポスト真実(post-truth)でないかと問いかけています。

ポスト真実とは、「真実の後」とすると直訳になりますが、個人的には「真実の向こう側」と訳したくなる言葉です。

これまでは、客観的な事実(メディアが報じる事実)が世論を形成するうえで絶対的な判断基準だったのですが、現代に至って、そういった客観性よりも、個人の感情や信条が優先されるようになってきた。

これは、「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」と同列に、今の世界観をあらわす言葉となっています。

アメリカで例えると、ポリティカル・コレクトネスによって形成されてきた社会、つまりメディアも含めて社会が選択してきた「客観的な事実」に対して、ここにきて大衆はポスト真実として、トランプ政治を選択したというわけです。

そうすると、既存のメディアがいくら「客観的な事実」を伝えても、それは現代では信ずるに値する真実ではなくなってしまうことを意味します。

このあたりに、大手メディアがこぞって強い焦りをみせながら、反トランプを主張する原因があるといえそうです。

実際世間でも、大手メディアの伝える言葉が本当なのか嘘なのかわからなくなってきています。

トランプ大統領の就任式に出席した人数は、政権側とメディア側と、どちらが正しいことを伝えているのでしょうか。

この一見どうでもいいようにもみえるニュースは、実はもっとも単純でわかりやすい問題提起だったといえるでしょう。

両者がそれぞれに「自分が正しい」といったとき、真実の外側にある、情報の受け手であるわたしたちは必然的に、感情や信条を優先して判断しなければならなくなります。

2.すでに報道はデマをばらまきすぎたのかもしれない

先ほど引用したBuzzFeedの記事のうち、後者のものをもう一度引用させていただきます。

「二つ目はニュースを作る側についてです。以前から本紙を見ながら『個人でここまでそれっぽいサイトが作れるんだから、どこかの会社や技術者が本気になってデマをばら撒くだけのサイトを作ったら大変なことになるかも』という危機感に近いものは感じていました」

これに対し、わたしはもうすでに、権力を持ったメディアはデマをばらまきすぎたのではないか、と思っています。

大きな力を持ったメディアによる世論操作はもはや手法化しています。

これがメディアのバイアス(偏り)や、事実を見る角度の違いといったレベルだったらいいのですが、すでにメディアは結託してある種の事実を伝えなかったり、あるいは必要以上に大きな声で伝えたり、時にはあからさまなデマをゴシップとして流布しています。

そういった現状に対して、トランプ政権は真っ向から対立しています。

3.こんな時代に個人ができることとは

虚構新聞では最後に、”完全にフェイクニュースを失くすことは不可能”と述べたうえで、”真偽の最終判断は個々人に委ねるしかない”としています。

「メディアによってつくられた事実よりも、わたしたちがどう感じるかということのほうが大事な社会になってきた」ということであれば、わたしたちが今後すべきことは、自分の良識をメディアに預けるのでなく、自分の頭で考えて、自分の正義を育むことだろうと思います。

トランプ氏は、自国のことは自国で考えろ、と言っています。

これは国家だけにとどまらず、メディアにもまた「自分たちに都合のいい真実を作ろうなどとするな」とくぎを刺しているわけで、ひいてはわたしたち個人もまた、”集合知と良識”によって真実の虚偽が判断ができるようにならなければなりません。

自宅に届く一紙の新聞や、テレビのニュースだけみて、それが真実だと考えることは、もはや時代遅れといわざるを得ないようです。

スポンサーリンク