ロンブー淳の芸能界批評にみた、任侠の精神

お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳さんですが、自著を宣伝する際の記者会見が記事になっていました。

個人的に参考になるところがありましたので、述べてみたいと思います。

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ロンブー淳 縮こまった芸能界に警鐘「卵のパックみたい」

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/25/kiji/20170225s00041000146000c.html

 お笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳(43)がこのほど、新書「日本人失格」(集英社)を発売。同社で記者の囲み取材に応じ、日本について、芸能界について自身の思いを語った。

自分の意見がストレートに伝えられない、無駄なことが多い、息詰まることが多いなど日本社会へ物申した一冊。「自分の意見を押し殺して他人の意見に合わせつつ同調しながら生きていく人」が“日本人合格”だと強烈に皮肉り、「それなら僕は失格でいい」と言い放つ。

一見好き放題やっているようにも思える芸能界にもモラルが求められ、閉塞感が蔓延(まんえん)していると警鐘を鳴らす。「僕はもともとモラルない人間だから(芸能界に)飛び込んできているのに、そんな人にモラルを求めるかと。卵のパックみたいに、同じものを同じ容器に入れて売り出しているのは芸能界自体を苦しめている。もっと暴れん坊がいていいし、聖人君子もいていい」と主張した。

芸能人が自由に振舞えず縮こまってしまうのは「ネットで負の声が大きくなるのを恐れて、何も打ち出さない方が得だ」と考えるから。その正反対を突き進む淳は「僕は思ったことを自分の口で言いたい。こんな本出して損だなと思うんですけど」と苦笑した。


ところで「任侠」という言葉があります。

日本ではヤクザの世界を連想しがちですが、任侠という言葉には、義理と人情を大事にし、法の拘束を嫌うといった一面があります。

任侠 Wikipedia

中国での任侠の歴史は古く、中国春秋時代に生まれたとされ、情を施されれば命をかけて恩義を返すことにより義理を果たすという精神を重んじ、法で縛られることを嫌った者が任侠に走ったとされる。戦国四君は食客や任侠の徒を3千人雇って国を動かしたとして各国から評価され、四君の中でも特に義理堅い信陵君を慕っていた劉邦は、任侠の徒から皇帝にまで出世した。この任侠らを題材にしたのが『史記』の「遊侠列伝」である。登場人物の朱家は有名で、貧乏ながらも助命をすることが急務とし、そのことで礼を言われることを嫌っていたために名声が高かったという。以後、任侠は庶民の間で地位を得、権力者の脅威となったという。任侠に武術を取り込んだ『武侠小説』は現代でも人気が高い。

なお、『史記』「遊侠列伝」の著者である司馬遷は、「『仁侠』の志を知らずに彼らをヤクザやチンピラなどと勘違いして馬鹿にするが、それは悲しいことだ」と述べている。

中国は広大な面積と複数の言語や民族が存在するので、地方においては法の権威が及ばない、あるいは中央の監視が行き渡らないため人民が地方官僚の暴政に悩むという背景の中、任侠とは庶民の中にあり圧政や無法地帯の馬賊から庶民を守る正義の味方という側面があった。そこから、法に頼らない個人レベルとしての恩に対する義理や義兄弟の忠誠が強調され、賊であっても義賊であることも可能であった。

田村淳さんが、「僕はもともとモラルない人間だから(芸能界に)飛び込んできている」と述べたのは、「法で縛られることを嫌った者が任侠に走った」構図とよく似ています。

また、仲間と一緒にテレビ番組に出ている姿もみていますが、おそらく義理を果たす精神も備わっていると思います。

田村淳さんは芸能界全体が萎縮して、芸能人が同じ容器に入れられた卵みたいになっていると述べ、モラルによってがんじがらめになっている現状に警鐘を鳴らしています。

しかしそう考えると、芸能界の大御所のほとんどは、こんな息苦しい時代にあっても「モラルに縛られず、仲間を大事にする」任侠の姿勢をことのほか大事にしているようにも思えませんか。

芸能界に限らず、モラルの押し付けで「卵のパック」ばかりになった現代において、いよいよ任侠の精神を持つことが求められているのかもしれません。



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