三島由紀夫、死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープが発表される

TBS系報道番組「Nスタ」で、三島由紀夫が自決する9カ月前の昭和45年2月に死生観や憲法観などを語った未発表の録音テープの一部内容が発表されたことで、ニュースになっています。

メディア記事

http://www.sankei.com/entertainments/news/170112/ent1701120019-n1.html

「平和憲法は、偽善です。憲法は、日本人に死ねと言っているんですよ」


http://www.jiji.com/jc/article?k=2017011200268&g=soc

 三島由紀夫文学館特別研究員の山中剛史氏は「録音は具体的な自決への行動を構想し始めたころのもの。自らの文学の欠陥を油彩画に例えながら語ったことはかつて知られていない」と話している。


http://www.yomiuri.co.jp/stream/?id=05685&ctg=3

動画では、憲法をごまかしながら存在する自衛隊に対する嫌悪感などを三島由紀夫自身が語っています。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170112/k10010836971000.html

この中で、作品の欠点について問われた三島は「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点があるんですね」と率直に話すなど、これまで知られていなかった文章論が語られています。

一方、憲法9条について「理想は理想で立派だと思う。僕は憲法9条というのがすべていけないと言っているんじゃないんです。人類が戦争をしないというのは立派なことです」と述べたうえで、戦後の社会が言葉の重みを軽視してきたとして、「日本の変な学者が逆解釈して自衛隊を認めているわけでしょ、そういうようなことをやって日本人はごまかしごまかし生きてきた」などと持論を展開しています。

Twitterでは

三島由紀夫とは

http://www.d4.dion.ne.jp/~yanag/kora5.htm

・・・楯の会結成時、一人一人が指を切ってコップに血を注ぐ。三島はそれに塩で味付け、日本帝国への忠誠を誓い全員でそれを飲み干した。三島は青年達の口や歯が真赤になっているのを見渡し「美しいドラキュラの一団だ!」と言って高笑いした。


http://www.tv-asahi.co.jp/ss/182/special/top.html

三島由紀夫――本名・平岡公威(きみたけ)が生まれたのは大正14年1月14日。父は農商務省の高級官僚、母は有名漢学者の娘という、まさに非の打ち所のない「エリート家庭」の出身でした。中でも祖母・夏子の過保護ぶりがすさまじく、「2階で子供を育てるのは危ない」と1階の自分の部屋に引き取り、実の父母にも授乳の時以外会わせなかったといわれています。外で遊ばせることは一切なく、遊びといえばままごとや折り紙をするだけ。いつしか三島は女言葉を使うようになっていきました。その反動から、荒っぽいもの、男らしいものに強い憧れをもつようになったということです。


http://ijiwarujii.exblog.jp/21865099/

三島の死亡を知ったニュースが特徴的だったのは、第1報が最終結果の報告だったこと。
「人質を取った三島由紀夫に開放を説得中」や「三島由紀夫が病院で治療中」などの中途状況の説明ではなく、彼が死んだとのニュースが第1報だった。

しか もラジオニュースでは「死」という言葉は何ら使われず「首が落ちた」と報道された。


http://anincline.com/mishima-yukio/

実際、1968年に川端康成がノーベル文学賞を受賞した際、三島由紀夫の名も並んで候補にあがっていました。三島由紀夫の才能はすでに世界的にも認められていたのです。1963年、日本文学研究の第一人者であるドナルド・キーンは、ノーベル文学賞の選考員会から日本の作家の中から誰を選ぶべきかの評価依頼を受け、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の順に推薦したといいます。

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